花祭り に関する質問

花祭り 花祭りについて詳しい人へ

花祭りがなぜ、4/8に行われるようになったのかを聞いた事があったのですが忘れてしまって思い出せません。誰か知っていたら、教えて下さい。私が覚えていることは、「日が強か」→4/8になっ

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花祭り 奥三河の花祭りにいた女性は?

この冬、奥三河の花祭りに行きました。何ヶ所か行ったのですが、どこにも現れる女性がいます。髪の毛が腰ぐらいまであって、細身の中年女性です。地元の人ではなさそうなのですが、かなり親しい間柄で、お祭りにも

  奥三河の花祭りにいた女性は?の詳細


花祭り 英語の得意な方!!

これを英訳してください!1月24日の夜までにお願いします。韓国北東部の江原道太白市で、恒例の太白山雪花祭りが始まった。ソウル市内からは車で4時間。雪化粧した太白山のふもとの会場は大勢の人が詰めかけている。祭り

  英語の得意な方!!の詳細


花祭り 千葉県の大多喜町

れ調べてたら、高速バスでも行ける事が分かりました。東京駅からの手段で、高速バスOR電車どちらがいいでしょうか?高速バスのバス停から、また駅(最寄駅も教えて下さい)から母の目的とするタケノコ狩り、花祭りの場所は近いのでしょう

  千葉県の大多喜町の詳細


花祭り 浜名湖周辺の隠れた見所を教えて下さい。

正月に浜名湖へ行くことにしました。何度も行っているので、ガイドブックの名所見所は全部回りました。どこか、隠れた見所がありましたら教えて下さい。車ですので、行動範囲はかなり広域で可能です。御前崎、静岡周辺まで足を伸ば

  浜名湖周辺の隠れた見所を教えて下さい。の詳細


花祭り 旅行記

韓国紀行7(8):5月7日:テグー・友鹿洞、鹿堂書院、サヤカ位牌(by 旅人のくまさんさん)

花祭り
<2000年5月7日(日)>

 今日は、今回の旅行の最後の難関、ウロクドン(友鹿洞)への旅行です。そのあとで、最後の宿泊地であり、最初の到着地でした、釜山へ向かう計画です。
 このウロクドンは、予め旅行記で読んでいたものの、詳しい道順などは載っていませんでした。テグーの近郊であり、かなりの田舎にあると言う事ぐらいが分かっていました。
      
<ウロクドン(友鹿洞)へのバス>
 宿は朝一番でチェックアウトし、荷物はテグー駅の地下鉄構内のコインロッカーに預けることにしました。昨日のバス検索システムを頼りに半月堂の地下鉄を降りたところで、バスを待つ事にしました。目指すバスはすぐにやってきました。ここまでは何の問題もありませんでした。問題は、この後にやってきました。
 1時間ほど走って終点に着きましたが、ウロクドンらしきところは見当たりませんでした。Muさんが付近の人や、運転手さんに聞いてみても、『分かりません。この付近にはありません』と言った返事のようでした。バスの運転手さんだけは、山の向こうを指さして『あっちの方』と言った教え方をしてくれました。
 それで、仕方無しに、乗ってきたそのバスに、また乗りました。『バスで途中まで戻って、出直そう。今度は、タクシーでウロクドンを案内してもらおう』といった作戦を考えての事でした。
 しかし、その作戦は不要になりました。暫く走ったところで、運転手さんが『ここで降りなさい』と促してくれたからです。しかし、降りてもその後が見当付きませんでした。ここでまた、Muさんが地元のご年配の男性にウロクドンの方角を尋ねましたら、『ここでバスに乗ればいい』と教えてくれました。なんと同じ路線番号のバスです。
 同じ番号のバスでも、行き先が違うのには参りました。しかも最初のバスにもフロントのところに『ノクトン(鹿堂)』の標識が付いていました。後で思い起こしますと、『そういえば最初のバスは赤字、今度は黒字で書いてありました』と言ったことくらいです。これはいまだもって、事情がよく飲み込めません。
 そのご年配の方は、日本語も話せる方で、目的のバスが前を通り過ぎようとすると、大声を出して走り出し、身振りを交えてバスを止めてくれました。こちらも走りながら、その親切なおじさんにお礼を言ってバスに飛び乗りました。
 このバスの運転手さんは女性でした。まだ30代と言ったところです。白い帽子に濃いサングラスをかけていました。その運転の凄まじいのには、思わず『女兵士を退役したばかりでは?』と言った推測をしました。
 彼女は、狭い道を凄いスピードでハンドルを切っていきました。確かに運転はうまいですが、乗っていて緊張しました。しかし、地元の人は顔見知りも多いらしく、みんな挨拶を交わしながらバスを降りていきました。
 そんな事があって、やっとたどり着いたウロクドンです。

<ノクトンショウォン(鹿堂書院)>
 バスは終点まで乗りましたが、終点近くでノクトンショウォンの建物が確認できました。ひと安心です。道路には横断幕があって、日本の高校からの団体客も来たようでした。横断幕には『サヤカ研究会』の日本語の文字がありました。
 書院への観光客はまばらでした。案内板を見ると、『予め連絡すれば、無償で堂を開け、案内もします』との趣旨が記されていました。
 それで、半ばお堂のお参りは諦めていました。しかし、記念館の隣からネクタイを締めたご年配の方が姿を現し、お堂を開けていただけることになりました。

 「お線香と蝋燭、それとお酒の分のお賽銭だけ上げて下さい」

 と、言った説明がありました。堂の奥の椅子の上に飾られたサヤカの位牌にお参りする時、

 「私の仕草に続いてお参りしてください」

 と教えて頂きました。その作法は、手を目線まで水平に上げて、少し重ねて頭を垂れ、そのまま跪き、頭を床まで付けて深く礼をすると言う所作でした。これを2回繰り返しました。

 「ここまで来た甲斐がありました」

 と、心でお礼を言って、お参りしました。その後は、何とも言えない厳粛な気分に浸りました。

<ウロクドンでの昼食>
 昼食はバス停近くの桟敷で食べることにしました。昼頃のバスでテグーに戻るつもりでいましたが、歩いてバス停に戻るうちに、時間前にそのバスは発車してしまいました。これも、日本ではなかなかお目にかからないことですが、ケンチャナヨの世界では、そうもいきません。郷に入ったら、郷に従えです。
 昼食を取った場所は、バス停、サヤカの碑から近い所でした。川べりに設えられた、吹き抜けの桟敷でした。風に運ばれて、盛んに柳絮(りゅうじょ、柳の綿)が飛んできました。残念ながら、花粉症気味の私には、少し厳しい環境でした。
 散々待たされて出てきた料理は、3人前で、洗面器一杯はあろうかと言う、鳥鍋です。あまりのボリュームに一瞬たじろぎました。しかし、なかなかの味でしたから、その杞憂は吹っ飛びました。地鶏を半羽以上は使ったようです。人参、芋等の野菜もたっぷり使ってありました。別に山菜サラダも付いていました。
 会計を少し危ぶみましたが、締めて23000ウォン、一人当たり800円弱とお値打ちでした。帰りのバスは、中堅の男性運転手さんでした。往きのことがあって、少し心配しましたが、全くの杞憂でした。余り飛ばさずに、確実な安全運転でした。テグー駅まで行くバスでしたので、そこで降ろしてもらいました。 

<再び釜山へ>
 ついに最後の難関もクリアーして、韓国内最後の地、釜山に向かいました。バスと電車のどちらにするか迷いましたが、電車のダイヤが少なかったので、市外高速バスにしました。かなりの数のバス会社が集まっていましたが、なかなか釜山行きのバスが見つかりませんでした。さほど離れていない大きな都市間の交通なので、一寸不思議な感がしました。
 以前、高速道路でプサンに向かった時、大変な交通渋滞で閉口したことがありました。岡崎のTaさんとMuさんとの3人旅の時でした。今回も危ぶみましたが、幸いその時ほどの混み様ではありませんでした。
 到着した釜山の町は、花祭りのパレードの最中でした。釜山の北に位置する市外高速バスターミナルから、釜山駅へ向かうタクシーは、ずっとこのパレードと一緒でした。距離にすれば、優に5kmは超えていたようです。
 この間、日本風に表現すれば、町内会、会社、学校等様々なグループが、意匠を凝らしてパレードに参加していました。まさに、釜山市民全員参加のお祭りです。
 パレードの途中、韓国に到着の5月1日に駅前に飾ってありました竜の縫いぐるみらしきものを見かけました。予想通り、駅前の縫いぐるみは無くなっていました。先ほどのパレードに参加していたに違いありません。一際大きかったので、目に付きました。

<釜山の宿>
 釜山では、釜山観光ホテルなどもお値打ちに泊まれますが、下町の安宿が気に入っていますので、こちらにしました。日本風に表記すれば『ソウル荘ホテル』となります。今回が3回目です。
 そのホテル、と言うより観光ビジネスホテル、あるいは観光旅館は、釜山タワーが目印の、その岡の南側に位置しています。大韓航空の事務所を目当てにしても、方角の見当が付きます。
 北側に面した入り口からフロントのある二階に上がりましたら、すぐに日本語が流暢な、年配の女将さんが対応してくれました。若女将がすぐに呼んだようでした。料金は一人当たり25000ウォンとお値打ちです。ただし、最初に泊まったときは、17000ウォンだった記憶があります。随分昔の話になりました。
 この宿が好きになった理由は、チャガルチシジャン(市場)、ククチェシジャン(国際市場)が、歩いていける距離にあること等です。目印に、北側の山に釜山タワーの明かりが、夜通し点いているのも便利です。いつも宿を探す時に気をつけるのは、メイン道路に面していない事です。夜遅く、朝早く、車の騒音でうるさくされては敵いません。この宿も本通りからは1本入った道に面していますので、車の音が気になりません。


  テグーの街角で
 春落葉ヒマラヤ杉の大通り

 歩道石大樹持ち上げ若葉萌ゆ

 燕の独り囀る線の上

  友鹿洞を訪ねて
 先達に倣いて詣る寺若葉

 柳絮飛ぶ川辺の桟敷遅き昼

 藤咲いてひとり遊びの子犬哉

【旅行時期】2000/05/01~2000/05/08
【エリア】大邱
【テーマ】
【投稿者】旅人のくまさん

韓国紀行3(7):5月3日;束草からソウルへ(by 旅人のくまさんさん)

花祭り
<1998年5月3日>

<泊まった宿>
 束草の宿はお湯も出ましたし、値段も手ごろな2万5千ウォンですた。今回の旅は不思議と2万5千ウォンの宿に縁があります。3万ウォン以上だと他に当たってみる、という、こちらの事情もあることにはありました。
 朝は宿の近くの店でスンドウブチゲ(純豆腐鍋)にしました。この4年間の定番朝食です。
 空港まではタクシーを拾いました。最初に見当をつけたより、大分早く着きました。昨日の雨風で、ソウルまでのフライトの中止を心配していましたが、霧も晴れ、風もあまり吹きませんでした。

<ソウル到着>
 束草空港を飛び立った中型機は、快適なフライトで、あっと言う間に金浦空港に着きました。天候が回復しましたので、途中、機中から見下ろす山並みも素晴らしかった。
 ソウルへは定刻に着きました。最初の日と同じように、観光案内所で安い宿を紹介して貰いました。今回も地下鉄5号線の乗り換えなしで行けるところでした。最初に泊まった宿のすぐ近くでした。
 高層ビルの合間に残った古い建物で、一瞬入るのを躊躇しましたが、中はそれほど悪くはありませんでした。バスタブも付いていましたし、お湯もちゃんと出ました。値段は始めて2万ウォン、それまでの5日間は、すべて2万5千ウォンでした。
 最初に日に焼き肉を食べた店が目標でした。100mと離れていませんでした。小さな旅館ですが、気配りが行き届いていました。玄関先には、君子蘭,さつき,フリージア、ゼラニュウムなどの鉢が所狭しと並べられていて、夜は鉢を取り込んでありました。

<ダッカルビの夜食>
 夜は電車を乗り換えて、城東区の方面まで焼き肉を食べに出掛けました。 初日はカルビクイだったので、今回はプルコギにしました。看板を余り確かめずに入りましたので、牛ではなく鳥の焼き肉でしたが、野菜がたっぷり使ってあって、味は悪くなかった。値段もお値打ちで、白飯(ペッパン)とビールを注文しても、締めて3万ウォンでした。



  束草からソウルへ向かう機中にて
 白き雲影はゆるりと春の山

 春嵐過て連山朝越ゆる

 五月晴葛籠に折る山険し

 春風が後押し半島西に飛ぶ

 五月晴霞は晴れし山越ゆる

 五月雨や韓河染めて奔流す

  ソウル市内にて
 タラの芽とこごみも売りし路地の端

 南大門春嵐過て人の波

 春祭終りて太鼓夜渡る

 観る人も胸に飾りの花祭り

 春の夜の星を見上て旅終る

【旅行時期】1998/04/28~1998/05/04
【エリア】ソウル
【テーマ】
【投稿者】旅人のくまさん

韓国紀行2(6):5月1日:麗水から陸路釜山へ(by 旅人のくまさんさん)

花祭り
<1997年5月1日>

 麗水から釜山への陸路は、昨年の旅で、途中観光地に寄りながら経験済みでした。今回は市外高速バスを使って、できるだけ早く釜山に向かうことにしました。当初予定から、麗水から釜山の途中で立ち寄る港町は計画していなかったためです。

<陸路、釜山へ>
 市外高速バスは乗り心地満点で、快適です。飛行機に例えれば、ビジネスクラスに匹敵します。ゆったりとした座席です。市内バスや、高速でない市外バスに比べますと、料金は高いものの、それだけの価値はあります。
 市外高速バスの料金は、日本と比べればかなり安い値段です。ほかの物価も日本より安いのは当然ですが、公共交通機関の料金はその平均以上に割安に感じます。
 途中、トンネル付近の交通事故による渋滞に遭いましたが、昼頃には釜山市郊外の東部バスターミナルに到着しました。夕方のラッシュアワーと比べれば、極めてスムーズなバスの旅でした。

<バスターミナルでの昼食>
 夜は、今回旅行の最初の日に見当を付けておいた鮮魚店で夜食を摂る予定にしていました。チャガルチ市場の中の店です。今回の旅行の最後の晩餐になります。それで、昼食は簡単に済ませることにしました。
 幸い、東部バスターミナル内に軽食の店がいくつかありました。その店の1つで、海苔巻き(キンパップ)とおでん(オデン)のセットを注文しました。食事の後にコーヒーを頼んで、それでも二人分で6千ウォン(約900円)ですから、随分とお値打ちでした。
 キンパップとおでんのセットや、キンパップとうどんのセットなど、軽い昼食には丁度よいくらいの量です。どこで注文しても無茶な値段がつくことがないのも安心です。
 海苔巻きは、日本の場合と違って寿司ご飯は使っていません。海苔の方はゴマ油を使って焼いたものを使ってあり、具には、日本と同じように卵や野菜類が使ってあります。これに白ゴマを振りかけてあることが多い。殊に、巻きたては中々の味です。たいていは、少し甘みを持った浅漬けの大根の漬け物がサービスで付きます。
 オデンの方は、薄味の付いた出汁がたっぷりと付いています。この出汁がスープ代わりになります。キンパップとの合理的で、お値打ちな組合せです。日本食文化が発祥である『おでん』の発音が、そのまま使われているのも馴染みやすいです。使われている材料も、日本とほとんど同じであり、仕込みセットも似ています。

<釜山の宿>
 昨年は、値段は少しばかり高いが、設備と見晴らしのいい釜山観光ホテルに泊まりました。しかし、今回は日本円で3千円程度の安宿に泊まることにしました。この旅行では、泊まった宿がお値打ちだったので、急に高いホテルに泊まるのも少し抵抗を感じるようになったこともあります。
 その宿は、これまでにも泊まったことがあるソウル荘旅館に決めました。この旅館は、曜日によって少し値段が変わります。しかし、日本円で5百円以内の範囲です。ベッドの部屋もありますが、オンドル部屋のほうが多数です。その選択で値段が変わることはありません。
 予約なしで頼んでも、大抵は何室か空いていて、断られたことがありません。フロントも日本語が通じるので便利です。もし、この旅館が満室で断られたとしても、代わりの旅館はあちこちにあります。

<最後の晩餐>
 旅館に荷物を置いて晩酌の店に出掛けました。その店のあるチャガルチ市場は歩いても行ける距離ですが、地下鉄も簡単に利用できます。
 市場に着いた後、すぐには食事をせずに一通り散策を楽しみました。近くには国際市場(ククチェシジャン)もありますし、チャガルチ市場にはお土産陽の乾物屋海苔等を並べている店も軒を連ねています。
 刺身は泳いでいるヒラメをメインに頼みました。私はとにかくホヤです。ホヤのことをこちらではモンゲと呼んでいます。このホヤとヒラメはコチュジャンの味が良く合います。キムチなどと一緒に野菜でくるんでも美味です。
 仕上げには刺身を取った後のひらめをベースに、メウンタンを作って貰いました。これと白ご飯(ペッパン)で今回の旅行の晩餐の締め括りとしました。


  麗水にて
 春惜む異国の空や島南端

 半島に麦穂揃いて風渡る

  釜山へ向かう車中にて
 芽柳の風に櫛梳く旅路哉

 谷越えてぼんぼり並ぶ花祭り

 若緑囲まれハイトの醸造所

【旅行時期】1997/04/27~1997/05/02
【エリア】釜山
【テーマ】
【投稿者】旅人のくまさん

韓国紀行2(2):4月27日:夜行フェリーで釜山から済州島へ(by 旅人のくまさんさん)

花祭り
<1997年4月27日>

 4月27日昼前に名古屋空港を出発し、1時間半後には釜山郊外の金海(キメ)空港に到着しました。海上を飛ぶ時間はわずかです。島伝いに少し飛べば、すぐに韓国といった感じでした。

<釜山到着>
 未だ、海の上でなければ交通手段を持っていなかった昔でも、容易に往来ができたであろうことが空の旅から想像できます。地理的に日本とは、本当に近い国です。
 九州、とりわけ対馬とは殊更です。空港到着後、釜山市内へは大韓航空の青塗りのリムジンバスで移動しました。その後、すぐに釜山港へと向かいました。演歌でお馴染みの『プサンハン』です。最初のおおざっぱな計画では、夜のフェリーに乗って済州島に渡り、2日ほど島内観光をする予定です。


<フェリーの予約>
 例によって、一切の韓国内移動の乗り物、宿も予約無しの旅です。もし、フェリーが予約できなかった場合は、釜山で1泊する予定でした。
 幸い、釜山を19時発、翌朝7時に済州島到着の便が予約できました。乗船まで少し時間がありましたので、荷物をコインロッカーに預け、港付近を1時間ほど散策しました。
 毎回のことながら、手荷物1つにコンパクトにまとめてはいるものも、荷物を持って歩くのは煩わしいことです。夕刻時を迎えて、市場は賑わいを見せはじめていました。早くも屋台で焼酎を飲みはじめている現地の人を見掛けました。チャガルチ市場の中でした。
 しかし、夕食には早過ぎる時間でした。まだ明るいし、名古屋とは実質的に約1時間の時差もあります。そこで、2人で相談し、夕食はフェリーに乗船してからとることに決めました。
 ところで、今日が旅行の初日です。フェリーに乗ってしまった後では、何となく食べ物にありつけない心配もありました。念のため、のり巻(キンパップ)を夜食用に買っておくことにしました。

<済州島へ>
 予定通り19時に釜山港を出港できました。案内された船室は、廊下に面したドアを開けたところにありました。船室は広間とベッドルームに別れていて、14人分の2段ベッドが設えてありました。2等か3等船室に当たるのでしょう。
 それでも、雑魚寝の大部屋にくらべますと、誠に恵まれています。部屋に案内されて暫くは、他の船客は入ってきませんでした。それで、最初は自分たち2人だけかと喜んでみたものの、次第に人が増えて、7人ほどになりました。
 済州島は、韓国の新婚さんのメッカのようです。昔の日本で言えば、宮崎、別府、あるいは伊豆半島の観光地といったところです。日本の場合、今は海外旅行が主で、状況が変わってしまいました。韓国でも、本当のお金持ちのカップルは、海外旅行になるようです。

<父との思い出>
 船上から眺めた釜山の街は、山の中腹まで家々が立ち並んでいます。その昔、父に連れられて見た、佐世保の町並みが思い出されました。長崎県の港町です。それも、ずいぶん昔の事であり、私の中学生の時です。
 この時食べたあんかけの魚の味も忘れられません。若い頃、平戸で育ち、玄界灘で育った父は、海のこと、魚のことをよく語ってくれました。
 新鮮な鯛が手に入った時は、母に替わって父が鯛茶漬けを作るのが恒例でした。白い身が熱湯で反り返り、淡泊な味付けの一飯が、今でも忘れられない思い出となっています。
 魚は『釣ったばかりの刺身より、浜で焼いたのが一番』だと言うのも父の口癖でした。佐世保で食べた、あんかけの白魚は、私にとってはご馳走でしたが、父は満足できる美味しさではないと言って、少しだけ不満そうでした。
 父にとっては、本当に美味しい味、あるいは思い出に繋がる特別の味があったのかも知れませんでした。その頃の自分には、とうてい理解できる世界ではありません。その父が亡くなって、既に10年以上の歳月が経ちました。
 釜山は、山が海近くまで迫っており、良港は、こんな地形に出現するようです。昔のことで、曖昧な記憶になってしまいましたが、佐世保の町もこんな感じでした。父は若い頃、この町で、薬局を開いていたこともあったと、私たち兄弟に話してくれました。

<夜行フェリーの旅>
 釜山は、韓国第2番目の都市であり、船から眺める夜景も素晴らしいものでした。普段目にする、高いところから眺める夜景と違って、海面に浮かぶ不夜城でした。
 名古屋からは、済州島までの飛行機直行便があります。この島だけが目的なら、今回のような経路は無意味です。しかし、釜山の夜景を見ながら、船旅での済州島巡りというのも一興あります。何物にも代え難い、旅そのものです。
 船内には、一応食堂も設備されていましたが、メニューはあまり変わり映えしませんでした。日本語が話せるマスターの勧めに従って、焼き肉定食にしました。
 ほかの客も似たようなものを注文していました。ほとんどマスターの誘導であることが分かりました。多分、『お値打ちで早く出来ますよ』などと言って勧めたのかも知れません。あるいは、ほかの料理は『少し時間がかかりますが、それでもいいですか?』と言ったことでしょう。
 国内航路の夜行のフェリーでは、食べ物に贅沢はできないようです。普段、夜にはコーヒーを飲みませんが、少し退屈になったのと、丁度船内に喫茶コーナーがありましたので、この習慣を破ることにしました。食事を終わってしまえば、何もすることがない、夜行の船旅です。
 無理して早く寝ようと思いましたが、コーヒーのカフェインとあいまって、エンジンの音と振動で、寝付きはよくありませんでした。船室の位置によっては、相当に騒音と振動があるようです。これが旅の風情であり、音でしょうか。
 しかし、鉄道のレール切れ目で発する規則音と同じようにも思えて、次第に気にならなくなりました。それで、次第に眠りの中に誘われていきました。



  釜山に向かう機上で
 春霞釜山は近き島伝い

  釜山の町中で
 飾付け半ばなりけり花祭り
 
 灌木を卍に植えし若葉哉

  釜山港から済州島へ向かう船上で
 春霞釜山の灯りやがて去り

 春の夜の長きを過す島巡り

 花飾る車と共にフェリー往く

 湾の外船は泊りぬ春明かり

 春宵にハングル聞きし旅の夜

 春の海山迫りたる釜山港

 春の風船に纏わり釜山発つ

【旅行時期】1997/04/27~1997/05/02
【エリア】チェジュ
【テーマ】
【投稿者】旅人のくまさん

韓国紀行1(2):4月27日:温陽温泉・花祭の夜(by 旅人のくまさんさん)

花祭り
<1996年4月27日>

 4月27日昼、名古屋発の大韓航空機でソウルに到着しました。昨年と同様、宿の予約は一切なしの気儘旅行です。ただし今回は、十年余ハングル語の勉強を続けたMuさん、彼と同じハングル語講座に通われている岡崎のTnさんとの同行の旅である。旅行ガイドさんよりも頼れるお二方に、旅の不安はありません。

<ソウル到着、南下>
 一応の旅程は計画してありました。初日はすぐに大田(テジョン)に行く予定をしていました。しかし、電車のセマウル号、ムグンファ号等はすべて売り切れになりました。
 かなり長い列の後方に並んでは見たものの、いずれも途中で売り切れになったものです。おまけに市外高速バスも、夜まで待たなければ乗車できないことが分かりました。
 こんな時便利なのが、予約なしの気儘旅行です。行き先を温陽温泉(オニャン・オンチョン)に変更しました。大田までの中間程度に位置する保養地です。この温陽温泉へ行くには、市外バスを利用できます。その切符は、容易に入手できました。
 そのバスはソウル市内の高速道路で大渋滞に巻き込まれました。遅々として進まず、それを見越した物売りの人がバスを目当てにやってきました。この渋滞は日常化しているようでした。地元の人は、窓越し買ったスルメを齧って、退屈さを紛らしていました。


<花祭りの夜>
 バスで到着した温陽温泉は、丁度文化祭と言う名の春祭の最中でした。最初に訪ねた観光ホテル、2軒目の旅館も満室で断られ、3軒目でやっと宿にありつけました。これは昨年の7泊8日の旅行では経験しなかったことでした。春祭の最中と言う特殊事情があったためのようです。
 この春祭は、夕暮れの花火を合図に、中学生位の生徒がパトカーを先導に提灯行列を繰り広げました。女子は制服の学校もありましたが、ほとんどが色とりどりのチマチョゴリの盛装でした。娘さん達に付き添って、何かと気を遣われるお母さん方の姿を、あちこちで見かけました。
 Tnさんは家業が花火製造である。上がっては歪に広がる花火を見て、思わず気になってしあったのか、

 「打ち上げ場所近くに移動して見学しましょう」

 と提案がありました。そのお話では、

 「日本の打ち上げ花火技術に似ているようだが、あまり上手ではない造りと、打ち上げ技術です」

 との評価をされていました。



  ソウルから温陽温泉へ向かう途中にて
 過る春時を背負て南下行

 連翹の苗一面に山畑

  温陽温泉での春祭を見て
 明星の取残されし花火後

 春の夜に大輪消えて残る笑み

 大輪の少し歪に春花火

 文化祭花舞う大路をチョゴリ行く

 新兵の童顔崩れし春祭

 襟元を母が手直す春祭

 国境は緊張の時春祭

【旅行時期】1996/04/27~1996/05/03
【エリア】温陽温泉
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】旅人のくまさん

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